東京オリンピックの新井千鶴さんがついに東京オリンピックで金メダルを獲得しそうですね。
新井千鶴さんの幼少期はどんな子供だったのでしょうか。そして、生い立ちや恩師との関係をまとめてみました。
新井千鶴の幼少期の画像は?
確認出来次第紹介します。
新井千鶴の生い立ちは?

新井千鶴選手は埼玉県大里郡寄居町の出身です。
幼少期はサッカー好きで熱心で取り組んでいたようです。兄が柔道をやっていて、勧められたことから兄と一緒に始めた事が金メダリストの出発となりました。
でも、最初は初日ですぐ行かなくなったようです。やっぱり怖かったんですかね。
新井千鶴の生い立ち:中学時代まで
小学生になってからまた柔道を始める事になりました。
そのまま6年間柔道を続けていたようですね。中学に入ると部活動にとしては同性の仲間がいなかった事から、出稽古として高校に出向いたり、大人と練習したりしていたようです。
この時点で既に凄い練習だという事が想像できますね。
常に意識してる事は、自分で考えて行動する事だそうで、当時からその意識をしっかりもって練習に取り組んでいました。
これは東京オリンピックで金メダル獲得するまで意識していたのではないでしょうか。
このような考え方のおかげで、中学3年生で全国3位となります。この時から注目度が一気に上がりました。
新井千鶴の生い立ち:高校生以降
高校は埼玉県の児玉高校に進学しました。
進学した理由は、中学時代から高校へ出向いた際に指導してくれていた柏又洋邦コーチがいたからだそうです。
新井千鶴さんは3年間で体重が13kg増えており、相当な筋力アップをしたんですね。
高校3年生の時に70kg級として初めて出場したようです。
関東大会では見事優勝しました。しかも、全試合一本での勝利だったんですね。
一本で勝つこそ柔道という日本の古来の考え方が当時から植え付けられていたのかもしれませんね。
また、凄いのが学業も優秀で3年間成績はオール5だったそうです。
正に文武両道の完璧な高校生ですね。
新井千鶴の生い立ち:大学生以降
新井千鶴さんは大学に進学していないようです。
高校卒業後、2012年に三井住友海上の監督である柳沢久監督と上野雅恵コーチにスカウトされ、そのまま就職したようですね。
その後、各国際大会や国内大会に出場し、東京オリンピック前までに金メダル15個、銀メダル6個、銅メダル6個獲得。
銀メダルや銅メダルより金メダルの数が多いのが実力の証拠ですね。
東京オリンピックに内定すると女子柔道強化担当の増地克之監督からも色々な指導をもらい、今回、東京オリンピックで70kg級で見事優勝しました。
東京オリンピックでは準決勝でタイマゾワ選手とトータル16分にも及ぶ死闘を繰り広げ勝利しました。
この試合は柔道の歴史に刻まれる試合だとコメンテーターも熱弁していましたね。
体力が削られた中での決勝で、かなり苦しかったと思いますが、技ありを取る事ができ、判定で勝利しました。
試合が決まった瞬間の笑顔はすがすがしかったです。
新井千鶴の恩師との関係は?
東京オリンピックの金メダルを獲得後、早速高校時代の恩師から『おめでとう』とコメントが届きました。
思い返せば中学生を相手に当時から指導を付けてくれた柏又洋邦コーチは恩師と呼べるのではないでしょうか。
高校さん年間で体重を13kg増やしたのも、しっかり組む教科書的な柔道を行うためには70キロ級が合っていると、世界で戦える体つくりを高校時代から準備してきたんだと思います。
また、実績を認めた三井住友海上の監督である柳沢久監督と上野雅恵コーチは新井千鶴の実力を見事開花させました。
高校生だった新井千鶴をここで、社会人として招き入れたからこそここまでこれたのかもしれませんね。
新井千鶴が強くなるにつれて相手からは研究されるので、当然勝てない時もあり悩んでいました。
そんな時は、日本の柔道連盟女子代表監督の増地克之監督から『挑戦者としてやってみよう』とアドバイスをもらい技の幅を広げていったそうです。
新井千鶴選手本人も『何度もくじけそうになったけど、それでも自分の芯をぶらさずにここまでやってきて、しっかり結果が付いてきて本当に良かったです』と最後は喜びを届けてくれました。
東京オリンピック金メダル本当におめでとうございます!
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