みなさんこんにちは。
いつも読んでくださりありがとう ございます。毎度お馴染みHIHI です。
9月26日に【奇跡体験アンビリバボー】 が放送されます。 今回は生涯歩くことが出来ないと 言われた杉田秀之という1人の男が 10年以上の時を得て大学ラグビー部の 仲間と富士登山を達成する奇跡の エピソードを紹介!
いったい何故、杉田秀之さんは生涯 歩くことが出来なくなったのか? そして、何故10年以上経過したあと 富士登山を達成したのか? また富士登山に挑戦する理由は何なのか?
今回は杉田秀之さんが生涯歩けなく なった理由や所属していたラグビー部 との強い絆を描いたエピソードを 紹介していきます!
杉田秀之さんプロフィール
杉田秀之さんは世界的な超有名 企業、ゴールドマンサックスで 仕事をしているエリート金融証券 マンです。
そんな杉田秀之さんは大学時代 ラグビーの試合で大きな事故に あい、体が不自由な状態になり ました。
日本では現在でも、障碍者に対する 仕事環境が整わない企業が多い中、 杉田秀之さんが選んだのは、世界的 大手企業のゴールドマンサックス でした。
ゴールドマンサックスは、障碍者 サポートが手厚く、健常者関係なく 実力成果主義の企業として有名で、 そんな環境が体が不自由な杉田秀之 さんの心を動かしたのでしょう。
ゴールドマンサックスに入社出来る 人材は一握りと言われており、 杉田秀之さんが人の何百倍も努力 して合格を勝ち取ったことは想像 できませすね!!
ゴールドマンサックスの年収は は規格外で2000万円を超えると 言われている為、杉田秀之さん も数千万円の給与をもらっている と考えられます!
杉田秀之さんが障害を乗り越えた秘話
杉田秀之さんは慶応義塾大学に 進学し、ラグビー部として入部 しました。 慶応義塾と言えばラグビーの 名門で杉田秀之さん合宿に同行 していた時、事故が起こりました。
杉田秀之さんは練習中にスクラムを 組んでいる祭、スクラムが崩れ、首の 骨を折る大事故に見舞われました。 脊髄を損傷し、医師の判断は・・・
【一生寝たきりです・・・】
大学1年生には残酷な現実です。 手足は動かず、感覚もない為、 首より下はどこを触っても何も 感じない。 そんな状況にどれだけ絶望したか 想像もできません。
そんな時、信心のある両親にから 【御本尊様と向き合って思いや悩みを そのままぶつけてごらん、本当に叶え たいと真剣に祈ってごらん】という 言葉を掛けられたそうです。 杉田秀之さんはこの言葉を信じて、 『自分の足で必ず歩く』と願い続け たそうです。
絶望的な状況下でこれだけポジティブ に考えられる人は多くは無いでしょう。
そんな願いと並行して厳しいリハビリ を続けきました。そのリハビリ量は 想像を絶するほど過酷で精神的にも 厳しかった事でしょう。 それでもそのリハビリ量と比例して 体に変化が起き始めました。
なんと、リハビリから1ヵ月、脳に 『動け!!』と唱え続けた結果、 足先が一瞬反応したのです。 脊髄損傷から復活するという奇跡の 瞬間でした。 しかし、奇跡はこれだけに留まらな かったのです。
半年後には着替えや食事も1人で できるようになっており、担当医も 驚いていたようです。
そして、その後も車いすで移動でき るようになると、最後には ゴールドマンサックスの社会部夏季 研修でこのエピソードに加え、最後に
『私は今ここに自分の足で立つ ことが出来るまでになりました。』
と発表したと言われています。 これは杉田秀之さんという努力家 の奇跡のエピソードです。 この結果は、脊髄損傷が原因で体が 動かなくなった全ての人に勇気を 与える偉大な事だと思います!!
杉田秀之さんとラグビー部の約束
慶応義塾大学のラグビー部では 最終日に富士登頂を行う予定 でしたが、この事故が切っ掛けで 中止となりました。
しかし、当時の仲間達はこの登頂を 諦めておらず、『いつかみんなで 登ろう』と会うたびに話していた ようです。
大人になり、結婚式などで仲間と 合った時にはこの話題が出ていた ようで、ついに2019年8月、 12年越しに実現したことはニュース でも大きく取り上げられました。
毎日最低2時間以上のトレーニング をこなし、2018年にはなんと予行 練習として高尾山に登る事が出来た そうです。
その後も、日本初の脊髄損傷者専門の 『ジェイ・ワークアウト』と呼ばれる トレーニングジムでトレーニングを 続けており、ついに2019年に富士 登山へ挑戦し、当時の仲間が大勢 集って、みんなで富士登頂を見事に 達成しました。
何より素晴らしいのは12年前の約束 をかなえる為に集まった仲間と、 それを成功させる為に惜しみない 努力を続けた杉田秀之さんの 頑張る気持ちが最高の結果に 繋がったのだと感じました。
杉田秀之さんは大きなけがをして 苦しい思いや辛い日常がこれから もあるかもしれませんが、1つだけ 言える事は、12年の時間が過ぎても このように集まってくれる仲間が いる事は最高に幸せだと言える でしょう!
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