林咲希の大学・高校・中学・ミニバスチームのバスケ経歴を紹介!

みなさんこんにちは。

東京オリンピックで日本女子バスケットボールが銀メダルを獲得しました。銀メダルの立役者となったのが林咲希選手。

準決勝のベルギー戦で残り数秒の所でスリーポイントを決めて逆転し、日本を決勝へ導きました。

今回は林咲希選手のミニバス・中学・高校・大学までを紹介していこうと思います。

目次

林咲希のミニバス時代

出典:https://www.nishinippon.co.jp/image/361022/

林咲希選手は雷山(らいざん)ミニバスケットボールクラブ出身です。

父は同チーム男子のコーチで福岡県雷山市のバスケットボール協会会長を務めていました。

気になる、林咲希選手の生い立ちを確認していきましょう

姉二人を追ってミニバスへ

出典:http://kyushu.ebpark.jp/itoshima/pdf/koho_itoshima_200401.pdf

林咲希選手には2人の姉がいます。当時、姉がバスケを始めていたので一緒に見にバスに入りたくて仕方なかったそうで、小学2年生からミニバス始めました。

林咲希さんは家族の中心にバスケットがある環境で育ったので、打ち込むには最高の環境だったと思います。

父は私情が入るからと男子のコーチをしていましたが、それでも娘を無視はできなかったようで、5年間指導してくれたそうです。

林咲希が通った雷山ミニバスの詳細

創設者である林咲希選手の父は2017年に若くして他界しています。

チーム名雷山ミニバスケットボールクラブ
カテゴリ小学生
対象男/女
住所福岡県糸島市
場所雷山小学校
活動日水・木 18:00~20:00
土   13:00~17:30

福岡県糸島市の方々で、もしバスケットに挑戦してみたい子供達は雷山ミニバスケットボールで次の林咲希選手を目指してほしいですね!

林咲希の中学時代

林咲希は福岡県糸島私立前原中学校でキャプテンも務めました。

現在日本代表としてプレーしている林咲希選手ですが、中学時代は全く無名でした。

それでも、中学のバスケ部顧問にバスケットの名門【精華女子高校】の練習に参加させてもらえるよう取り計らってもらった事で人生の転機が訪れたそうです。

練習に参加してみると精華女子高校の監督からオファーをもらい、進学が決定したそうです!

林咲希の高校時代

出典:https://twitter.com/dan5_0702

林咲希は精華女子高校に進学し、インターハイベスト16、国体準優勝に貢献しました。

林咲希さんは高校時代はかなり過酷な私生活を送っていたと思います。

家が遠かったので毎朝4時半に自宅を出て朝練に一番乗り、夕方から部活動を終えて帰宅するのは21時30分。

そこから、バスケノートや勉強をして就寝は23時という生活を3年間続けました。

成績は常に学年トップクラスで、まさに文武両道だったそうです。

試合には1年生の時から出場、最終的に3年生の時はインターハイベスト16、国体準優勝と好成績を収めました。

林咲希の作った部活の習慣

林咲希選手は誰かの為に頑張れる選手だと感じるエピソードが高校時代にありました。

3年生で部活を引退すると、毎朝の朝練から解放されてゆっくりした生活にシフトするのが普通です。

しかし、林咲希選手は卒業するまで朝練に参加し、準備して後輩たちのボール拾いやパス出しを手伝っていたそうです。

部活引退後でこれはなかなかできる事ではないと思います。

このようなエピソードからも林咲希選手の『仲間の為に頑張る事ができる』という人間性が見えてきますね!

しかし、このような過酷な生活はバスケットが好きだから出来たのではないでしょうか。

林咲希の大学時代

出典:https://mobile.twitter.com/HAKUOH_univ

林咲希はは白鷗大学に進学して、4年生でインカレ優勝と大会MVP、得点王を獲得しました。

世界に通用する3Pは大学の膨大な練習量で身に付けました。

白鷗大学はバスケットの強豪だ学で、この時に現在日本代表で活躍する林咲希選手の代名詞3Pを身に付けたそうです。

大学時代まで3Pを特別意識して練習していた事がなかったよです。

では、なぜ大学から3Pを打つようになったのか確認してみました。

林咲希がスリーポイントを身に付けた理由は?

大学では全国でも有名な佐藤智信コーチに指導してもらったそうです。

1年生の時から期待されていたこともあり、その期待に応えようとしたことが最大の理由だそうです。

これは憶測ですが、大学に入って後、高校で全国を経験した多くの選手が大学1年生~4年生までいるインカレで活躍するには新しい武器が必要だったのかもしれませんね。

林咲希選手は身長173cmですが女子バスケの中では決して大きい方ではありません。

大学やその後バスケット選手として挑戦していく為にも3Pを身に付ける必要があったのだと思いました。

林咲希のスリーポイント練習量が異常

林咲希選手は大学時代、1日数百本のスリーポイントを練習していたそうです。

普通、百本程度打つと腕が相当疲れてくると思いますが、それを何倍も努力してきたんですね。

一説には、大学時代練習が多すぎて体育館に住んでいると噂が立ったらしいです。

しかし、その練習量が全日本のオリンピック銀メダルに最高の形で貢献する事になるとは当時想像もしていなかったでしょうね。

林咲希のプロフィール

林咲希のプロフィール&経歴
  • 名前:林咲希
  • 年齢:26歳
  • 生年月日:1995年3月16日
  • 出身地:福岡県糸島市
  • ミニバス:雷山ミニバスケットボールクラブ
  • 中学:糸島市立前原中学校
  • 高校:精華女子高校
  • 大学:白鷗大学

【経歴】

  • 高校:インターハイベスト16、国体準優勝
  • 大学:インカレ優勝、得点王、MVP
  • 日本代表:東京オリンピック準優勝

林咲希の大学・高校・中学・ミニバスチームのバスケ経歴まとめ

東京オリンピックで日本女子バスケットボールが銀メダルを獲得の立役者となったのが林咲希選手のミニバス・中学・高校・大学までを紹介します。

【林咲希のミニバス時代】

林咲希選手は雷山(らいざん)ミニバスケットボールクラブ出身。

【林咲希の中学時代】

林咲希は福岡県糸島私立前原中学校で3年間バスケ部に所属。キャプテンも務めたが、大会で結果は出なかった。

【林咲希の高校時代】

林咲希は精華女子高校に進学し、インターハイベスト16、国体準優勝に貢献した。

【林咲希の大学時代】

林咲希はは白鷗大学に進学。4年生でインカレ優勝と大会MVP、得点王を獲得。世界に通用する3Pは大学の膨大な練習量で身に付けた!

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