8月16日の「ザ!世界仰天ニュース」で、豊田商事詐欺事件が取り上げられます。
永野一男は2000億円を騙し取った詐欺事件の犯人であり、多くの報道陣の前で惨殺された被害者です。
豊田商事詐欺事件については番組内で放送されますが、マンションの場所や生い立ち、家族については気になったので確認しました。
- 殺害現場のマンションの場所は?
- 永野一男はどんな生い立ちで育った?
- 永野一男の家族は現在どうしている?
これらについて見ていきましょう。
殺害現場のマンションの場所は?
場所:大阪府大阪市北区天神橋3丁目7-3
マンション名:ストークマンション扇町
立地:Osaka Metro谷町線 / 南森町駅 徒歩3分、Osaka Metro堺筋線 / 扇町駅 徒歩6分
築年月:1978年11月
築年数:44年
間取り:3LDK
階数:9階建
殺害現場の階数:5階
部屋番号:502号室
こちらが殺害現場となったマンションです。大阪府大阪市北区にあり、かなり都会にあります。

天神橋付近は飲み屋がたくさんあり、大変賑わっている地域です。
大阪駅へのアクセスも良く便利な場所ですが、やはり飲み屋街が付近にあるということもあり、治安は良いわけではありません。
永野一男はそんな都会にある9階建のマンションの5階に住んでいました。当時永野一男が住んでいた部屋は502号室なので角部屋ではありませんでした。
現在もこのマンションは残っています。
人が住んでおり、現場となった部屋がある5階の家賃は月10万〜12万円で貸し出されています。
現在の天神橋の3LDKの部屋の家賃相場を調べて見たところ、およそ15万円なので相場よりは少し低いようです。
高層マンションでもなく、オートロックもついていないマンションで、階数も5階なので現在の相場よりは安いのかもしれません。
また、不動産について調べた限りの情報では、事故物件だからといって格段に家賃が低いわけではなさそうです。
永野一男のマンションは安かった
このマンションの価格を聞いて違和感を持った人はいると思います。このマンションは家賃が高いわけでもなく、大衆向けです。
永野一男が経営していた豊田商事の社員の給料は歩合制で、月収1000万円を超える社員もいたと言われています。
永野一男も2000億の詐欺があったとされており、相当の収入だったと想像できます。

物欲が強いのか、ランボルギーニ・カウンタックなどのスーパーカータイプの高級車を何台も所有していたり、自家用クルーザーやジェット機を所持していました。
しかし住んでいたのは高層マンションではなく、オートロックもない大衆向けの安いマンションです!
さらに、殺害された時、財布には711円しか入っておらず、家具も高級なものではありませんでした。
※殺害された当時の動画に関してはコチラから↓
【番組中に公開します】
決して生活は派手なものではなく、むしろ質素な生活を送っていたような記録しかありません。
また、所持していたとされるジェット機やクルーザー、何台もの高級車も殺害された時にはどこにもなく、どこに行ったのかはわからないままです。
永野一男はどんな生い立ちで育った?
名前:永野一男
生年月日:1952年8月1日
出身:岐阜県恵那市
死没:1985年6月18日
当時の年齢:32歳
職業:実業家、詐欺師
幼少期〜就職
永野一男は少し複雑な家庭環境で育ったようです。
父が障害者だったため、生活を支えていたのは農家であった祖父でした。
しかし祖父が亡くなると、農業で食い繋いできた生活はままならなくなりました。そこで、15歳の時に島根県浜田市国分町の叔父の家に預けられました。
叔父の家から中学校に通い、島根県浜田市の中学校を卒業しました。

当時は貧しい家庭は高校に通わせるお金もなく、進学が難しかったので多くの貧しい家庭の子供が中学校卒業と同時に就職しました。
永野一男も同様に高校に進学せずに愛知県の日本電装(現在はデンソー)に集団就職しました。
仕事への考え方が変わる
- 永野一男の月収は1万円だった
- 当時の平均は4万3千円前後
- 永野一男は働く意欲を無くす
- カネを儲ける考え方を考えた
- 独立を目指した!
最初は給料のためにがむしゃらに働いていたものの、月給1万円という安さから次第に永野一男は働くことへの意欲は失せていきました。
この頃のサラリーマンの平均月収は約4万3千円だったので、平均の4分の1しかもらえていなかったんですね。
だんだん働くことへの考え方が変わってきた永野一男はこう思うようになります。
「カネを儲けるには右から左に流すのが賢いやり方だ」
これは昔から永野一男が言っていた言葉だそうです。
安い給料のために工場でがむしゃらに働くことが馬鹿馬鹿しくなったんですね。結局日本電装は2年ほどで退職しました。
転職をきっかけに貧困を脱出
- 岡地株式会社へ転職
- 好成績で年収は6700万円
- 大きなミスで会社をクビ
- スリなどの犯罪も始める
- お金への執着が強かった
その後、転職を繰り返した後、商品取引業をおこなっている「岡地」に入社しました。

岡地株式会社は今年で創業71年になる商品取引所です。名古屋繊維取引所と同時に開業し、長年金を中心にゴムや貴金属、米などの農作物を先物取引で取り扱っています。
現在、先物取引は商品先物取引法によって整備され、特定の取引所でしか取引ができないようになっています。
岡地株式会社はその商品先物取引法に基づいて設立された会社です。永野一男は岡地では成績が良く、21歳にして年収は約6700万円もあったとも言われています。
しかし顧客のお金を約3000万円も小豆市場に注ぎ込み、1800万円も損をさせたことが会社に発覚し、クビになりました。
また、競馬場のトイレでスリをして捕まったこともありました。
幼い時から貧しい家庭に育ったため、客の顔金ではありましたが投資をしたり、職を失ってからはスリをしたり競馬をしたりと、お金への執着が強かったようです。
豊田商事を設立する
岡地を解雇されると、今度は自分で事業を始めました。
それが、豊田商事詐欺事件を起こした豊田商事というペーパーカンパニーです。
一人暮らしの老人たちから総額2000億円もの大金を巻き上げたその巧妙な手口はこちらからご覧ください↓
https://hi1987.net/2022/08/14/naganokazuo_toyotashoujijiken/naganokazuo_toyotashoujijiken-31688
永野一男の家族は現在どうしている?
永野一男は生涯独身を貫いたので家族はいません。
詐欺で手に入れた巨額の富に目をくらませ、寄ってくる女性は数知れずいたかもしれませんが、彼は一度も結婚しませんでした。
その理由は、『自分のしていることが危ない橋を渡っているという自覚があったから』だそうです。
自分のやっていることが明るみにでれば確実に妻や子供に迷惑がかかります。「女房に累が及ぶ」といい、生涯未婚を貫きました。
今までやってきた詐欺の話を聞くと人の心がないような冷徹な人間なのかと思いますが、妻をとらなかった理由を聞くと何だか人間味を感じます。
1986年に飯田篤郎と矢野正計によって殺害されました。
※犯人2人組の現在についてはコチラから↓
https://hi1987.net/2022/08/14/toyotashojijiken_hannnin/toyotashojijiken_hannnin-31712
永野一男が生きていれば今年で70歳になります。両親や叔父さんはまだ生きているかもしれませんが、かなり高齢であることが予想できます。
彼らが現在もご存命なのかはわかりませんでした。もし生きているならば、慎ましく穏やかに暮らせていると良いなと思います。
永野一男は質素な暮らしをしていた
永野一男は、「(会社が)こんなに大きくなるとは思っていなかった。これだけの規模にしたのは、部下がやったこと。でも、これだけ大きくなってしまったら、もうお仕舞いだ」と言っていたそうです。
そのため、顔を出したら殺されると言ってマスコミに顔を見せませんでした。また、役員や社員にも滅多に顔を見せなかったそうです。
そして妻を娶ると累が及ぶと考え、生涯独身で過ごしました。

つまり悪事を働いてお金を稼いでいるという自覚はあったわけです。
殺された時にあったものは711円と30インチのブラウン管のテレビ、カラオケセット、歌謡曲のレコード、金儲けに関する本、カウンタックだけでした。
マンションも大衆の住む普通のマンションでした。
その一方、豊田商事の幹部たちは1ヶ月に1000万円給与を受けていたり、当時珍しかったオートロックのマンションに住んだり豪勢な生活をしていました。
豊田商事は全国に支店100店を持ち、社員が7000人以上もいました。
しかし1985年6月18日に永野一男が殺されると社員がさっといなくなったそうです。そして2週間後の7月1日、豊田商事は破産宣告を受けています。
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