2021年8月に東京パラリンピックで中西麻耶さんが陸上競技の走り幅跳びに挑戦します。中西麻耶さんは事故で足を失いました。
障害の原因や、そんな状況から陸上競技(走り幅跳び)に挑戦した理由や生い立ちについて紹介します!
どんな状況でも前向きに進む中西麻耶さんの生き方に勇気や力を貰えると思います。
中西麻耶のwiki風プロフィールや生い立ち
- 名前:中西麻耶
- 年齢:36歳(2021年8月現在)
- 生年月日:1985年6月3日
- 出身地:大分県
中西麻耶の社会人まで
出生地は大坂ですが小学生の時に父親の仕事の都合で大分県へ移りました。もともと、ソフトテニスの選手として全国大会に出場するなど運動神経抜群でした。
大学には進学せず、高校卒業後就職して社会人となったが地元のソフトテニス大会開催をしり、競技に復帰した。
中西麻耶の事故後
ソフトテニス競技に進もうと考えてすぐ、2006年9月に父の仕事現場で右足を怪我して切断する事になりました。
最初は義足でソフトテニスを続けることは諦めていたそうです。しかし、義肢装具士の臼井氏に出会い障害者の陸上競技に参加。
そうするとまさかの100mと200mで日本記録を樹立してそこから本格的に陸上競技を始める事になりました。
事故から1年で挑戦しようと気持ちを切り替えられたことが本当に凄いです。
中西麻耶のパラリンピック
2008年に北京パラリンピック、2012年にロンドンパラリンピック、2016年にリオデジャネイロパラリンピック、2021年に東京パラリンピックと4大会連続出場となりました。
競技は100mと200m、走り幅跳びに出場。最高成績は北京パラリンピックの200mの4位とリオパラリンピックの走り幅跳び4位です。
東京パラリンピックではメダルが期待されています!
中西麻耶の事故とは?障害の原因は?

中西麻耶の事故は仕事中に5トンの鉄骨が崩れて直撃しました。
これによって、右足が潰れてしまいました。
事故現場は父親の会社です。中西麻耶さんの父は塗装会社を経営しており、そこに見学に行ったとき事故は発生しました。
当初、切断せずに、接合で様子を見るという選択肢もあったようです。
しかし、当時の中西麻耶さんはソフトテニスの国体が迫っていました。ソフトテニスはプロが無い為、この大会を逃すと今後挑戦出来ないと考えていたのかもしれません。
そこで、切断という選択をしたようです。
中西麻耶が陸上に挑戦した理由は?
中西麻耶のソフトテニス
大会に出る為に足の切断を選択したが、実際はコートに立つことは出来ませんでした。周りからの『無理なんだから諦めればいいのに』という空気を感じて凄く腹が立ったそうです。
しかし、ここで凄いのが、中西麻耶さんは負けないで先に進むポジティブな思考があったようです。
自分だって義足で歩けるのに『何で挑戦出来ないんだ』、『どうして出来ないって決めつけるのか』など色々思う事があったようです。
それでも現実は大会に出る事は出来ず悔しい思いをしたみたいです。
中西麻耶の陸上を始めた切っ掛けは?
陸上を始めた切っ掛けは当時、義足で出来るスポーツが陸上しかなかったからだそうです。
また、義足を作ってくれた臼井氏が障害者の陸上大会の見学に連れ出してくれた事が考え方が変わったようです。。
気晴らし程度に見に行ったようですが、スポーツ好きの気持ちに火が付いて自分もやりたいと感じたそうです。
『人が出来るんだから私にもできる』という強い気持ちをもっていたことが良い方向に人生を変えたと思いました。
これを調べて、私もポジティブに物事を捉えることがどれだけ大切なのかを学びました。
臼井さんが誘ってくれなかったらパラリンピックに出る事も無かったと思うと、辛い経験の中にも出会う人やちょっとした出来事で人生の方向性が変わるんですね。
まとめ
東京パラリンピックで中西麻耶さんが陸上競技の走り幅跳びに挑戦します。中西麻耶さんは事故で足を失いました。
事故の原因や、そんな状況から陸上競技に挑戦した理由や生い立ちについて紹介します!
【中西麻耶のwiki風プロフィール】
名前:中西麻耶
年齢:36歳(2021年8月現在)
生年月日:1985年6月3日
出身地:大分県
【中西麻耶の生い立ち】
運動神経が抜群でソフトテニスをしていたが、父の職場で事故にあい、右足を切断する事を決断した。
パラリンピックは北京、ロンドン、リオ、東京と4大会連続の出場。東京パラリンピックでは走り幅跳びでメダルを狙う。
【中西麻耶の事故とは?障害の原因は?】
父の仕事場を見学してた時、5トンの鉄骨が崩れて右足がつぶされてしまった。当時は接合で様子を見る事を両親から勧められたが、切断を自分の意思で決断した。
【中西麻耶が陸上に挑戦した理由は?】
義足を付けて参加できるスポーツが当時陸上しかなかったから。そして、義足を作ってくれた臼井氏と出会い、気晴らしに出かけた障害者の陸上競技をみて挑戦する事を決断した。
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