2021年12月12日に『誰も知らない明石家さんま』が放送されます。
明石家さんまがお笑いとして成功したのは祖父音一さんが大きく影響しているという事で、二人の関係や生い立ちを調べてみました!
- 明石家さんまの祖父とは?
- 明石家さんまの生い立ち!
- 明石家さんまの名言と歌
今回はこれらについて紹介します↑
※番組放送前なので内容が異なる場合があるため、放送後追記修正予定!
明石家さんまの祖父とは?
- 明石家さんまの祖父は杉本音一
- 音一は笑う事の大切さを教えてくれた
- 音一は85歳で死去
明石家さんまさんの祖父は杉本音一さんという方です!
これはある番組でさんまさんが音一さんを眺めるワンシーンです。人生を変えてくれた祖父の写真を見て『グッと』きた事でしょう!
音一さんは85歳で亡くなりました。
さんまの祖父は面白い人
さんまは祖父から笑いの影響えお受けていたようですね。
さんまの祖父・音一さんはとてもユーモアのある人だったそうです。
祖父は頭痛の時に頭へ絆創膏を張ったり、メガネ屋の店員を笑わせたりとさんまにとってとても楽しいおじいちゃんだったようです。
さんまさんが笑う事を大切にした背景にはお爺ちゃんと遊んだ幼少期の影響が大きかったそうです。
音一がさんまに伝えた言葉として有名なのがコチラ↓
辛いときこそ笑え!
深い言葉ですね。さんまさんといえば笑う事の大切さや前向きな考え方は音一さんから学んだことなのかもしれませんね。
さんまは高校生の時、親に落語家になりたいと打ち明けた時猛反対されました。その時に父親へ頭を下げてくれたのが音一さんでした。
親を説得して芸人の道を後押ししてくれたそうです!
さんまさんが自分の両親や祖父母の話をした事はないので貴重なドラマになりそうですね。
果たしてどんな生い立ちだったのか調べてみました。
明石家さんまの生い立ち!

芸能界で一番明るく、元気な人といえばさんまさんではないでしょうか。
本人もストレスがたまらないと話しており、その生き方や考え方に影響を受けた人も多いと思いますね。
いったいさんまさんはどんな生き方をして今に至るのか確認しましたところ壮絶な苦悩があったようです。
明石家さんまの幼少期と音一の関係
明石家さんまは和歌山県で生まれました。2人兄弟の次男として誕生し、実家は水産業をしていたそうです。
- 父:杉本恒
- 祖父:杉本音一
- 兄:杉本正樹
3歳の時に母が他界。幼少期という一番母親が必要な時に、母が他界した事はさんまの人生に大きな影響を与えた出来事だと思われます!
さんまはいつも父が仕事で忙しかったので、祖父と兄の3人で遊んでいたそうです。
ユーモアのある祖父の影響は大きく、『奈良の三バカ大将』なんて呼ばれ、親しまれたと言われています。
父親の再婚

さんまさんが小学校4年生の時に父親が再婚しているようです。
その後、父と継母の間には子供が出来たそうです。
だから、さんまさんは実の弟が出来たかのように喜んだらしいですね。
弟は正登さんといいます。
きっと、継母と正登さんとみんなで『仲良く、楽しく生活していこう』と小さいながらに感じていたのではないでしょうか。
しかし、ここからが辛い日々の始まりでした。
継母とそりが合わなかった

父が再婚して新しく母親が出来た事で楽しい生活が始まるかと思いきや、さんまは継母とそりが合わなかったようです。
一緒に住んでいるのに『無視』されたという事もあったようです。
※これは事実か分かりませんがそういう話が出ていました。
新しい家族として『頑張ろう』、『生きていこう』と思っている兄弟にとって辛い経験だと思います。
きっと、まだ成長途中の子供にとって、『なんで無視されるのか』、『何が悪いのか』など色々考えた事でしょう!
さんまは継母に好かれたかった

継母の無視が続く中、それでもさんまさんは仲良くなりたい一心で継母とコミュニケーションをとろうとしたそうです。
その方法が『笑い』でした。
何とかして継母に興味を持ってもらいたいさんまさんは、面白い事をして継母を笑わそうと必死に頑張ったそうです。
しかし、あまり関係性は改善していなかったようです。
そんな生活が続くなかでもさんまは弟である正登さんを大切にしてきたそうです!
しかし悲劇が・・・
弟の正登が死去

1983年、可愛がっていた最愛の弟である正登さんが19歳という若さで亡くなりました。
原因は実家の火事だったそうです。自宅が全焼した際、正登さんが巻き込まれてしまったと言います。
これは凄く辛い経験だったのではないでしょうか。
この時、さんまは芸能界引退を考えそうですが、オール巨人から漫才を通してエールを送られ踏みとどまったらしいです。
日本航空事故を免れる

1985年8月12日には日本航空123便が群馬県多野郡上野村山中に墜落。
524名の乗客のうち520名が亡くなった最悪の事故でした。この飛行機に当初乗る予定だったのがさんまさん。
しかし、仕事が早く終了して、1つ先の便で帰宅した事でこの事故から免れたといいます。
弟の死や墜落事故との関係を経験されてるさんまさんのだからこそ、『生きてるだけで丸儲け』という言葉の重みが伝わってきます。
実際に娘のIMARUさんの名前も『今を生きる』というところから名付けている事を考えるとこの一瞬が大切であることを感じました!
さんまの結婚以降
1988年に大竹しのぶさんと結婚してにちかさんやIMARUさんという子供を授かりました。
離婚はしまいましたが、家族はみんな仲良しでテレビで度々話題にでますね。
これ以降はテレビ番組でもドラマでも大活躍。
現在、芸能界の頂点に君臨してるといっても過言じゃないと思います!
明石家さんまの名言と歌
こちらはBEGINが作った歌で、さんまさんの名言が歌詞として入っています。今では名曲となった歌を一度お聞きください!
明石家さんまさんの名言は沢山ありますが、その中でも特に有名なものをいくつかチョイスしました。
是非、生い立ちを見た後にこの言葉の感じ方が変わって来るのではないでしょうか!
- 泣くな、笑え
- まだやれる、明日があるんやから。
- 生きてるだけで丸儲け
- 辛い時こそ笑え
- 自分だけ大変だと思ってる奴、多すぎるんよな。
- 俺たちはは奇跡を生きてんねん。
- 満点なんか取らんでええねん。満天は星空だけで十分や。
- 死ぬ時にわくわくしたい。
こんな素敵な言葉を残しています!
まとめ
2021年12月12日に『誰も知らない明石家さんま』が放送。亡き祖父(音一)がさんまに与えた影響などをドラマ化する為、内容が気になり実話を調べてみました。
辛い時こそ笑う事を教えてくれた祖父はさんまのお笑い人生に大きく影響を与えたそうです。
- さんまの祖父は音一さんで、ユーモアのある人だった。
- さんまの母は3歳の時に死去。
- さんまは音一と兄の3人でよく遊んでいたお爺ちゃん子だった。
- 『辛い時こそ笑え』という言葉を祖父からもらった。
- 父が再婚して可愛がっていた継母の子供(弟)が19歳の時に火事で死去
- さんまが笑顔を大切にする理由が理解できた
母の死去、父の再婚と継母との苦悩、そして弟の死などを経験した明石家さんまだからこそ、『生きてるだけで丸儲け』という言葉の素晴らしさを感じました。
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