重信房子の娘(重信メイ)の父親は誰で画像は?現在の活動や経歴を紹介!

みなさんこんにちは。

2022年9月20日の「ザ!仰天ニュース」で、赤軍派が起こしたダッカ日本航空ハイジャック事件が取り上げられますそこで、日本赤軍の最高幹部だった重信房子の娘である重信メイが注目されます。

重信メイの父親は誰で画像は残っているのか、彼女の現在の活動や経歴を紹介!

  1. 重信房子の娘(重信メイ)の経歴
  2. 重信房子の娘(重信メイ)の現在
  3. 父親は誰で画像は?

これらを確認します。

目次

重信房子の娘(重信メイ)の経歴は?

名前:重信メイ(しげのぶ めい)
年齢:49歳(2022年9月現在)
生年月日:1973年3月1日
出生地:レバノン ベイルート
経歴:レバノン大学ジャーナリズム卒
ベイルートアメリカン大学
大学院国際政治学部修了
同志社大学大学院社会学研究科
メディア学科博士課程修了
博士号取得(2013年)
国籍:日本
話せる言語:英語、アラビア語、日本語
職業:国際ジャーナリスト

重信メイは、日本赤軍の最高幹部だった重信房子の長女としてレバノンの首都ベイルートで生まれました。

今は国際ジャーナリストになっている重信メイの今までを振り返ります。

幼少期~成長期

重信メイ子供の頃はレバノンの避難民キャンプで生活していました。

重信メイには日本に弟と妹がいます。彼らとは血がつながっていないが、母親と同じ目的を持った親を持つ子供たちだったといいます。

メイは小さい頃は父親の名前は教えてもらえず、暗殺の危険が高かったため、居住地を転々と移動していました。

そして、成長期の中で考え方・アイデンティティーも事あるごとに変化させられてきました。

イスラエルのテルアビブ空港乱射事件やハーグ事件があってから、母親がフランスのインターポールから指名手配されたため、それから逃げるために場所を頻繁に変え、色々な国で学校へ通いました。

具体的にどこの学校に通ったのかまでは明らかにしていません。また、子供時代には父親を殺害された経験をしています。

母親である重信房子さんについてはコチラ!

https://hi1987.net/2022/09/20/gakureki_shigenobufusako/gakureki_shigenobufusako-34382

成人以降

  • 2000年に母親逮捕
  • 2001年4月にメイは日本国籍を取得
  • 2001年より小学校などで教育に携わる

2000年に母親が大阪で逮捕され、2001年4月に日本に来たメイは、それまで無国籍だったのを母親を支えるために日本国籍を取得して、日本人になりました。

彼女は1996年に一度日本へ渡航歴があり、それ以来の日本入国となりました。

2001年12月には、神奈川県藤沢市の市立小学校の家庭科担当の男性教師がメイを講師として招き、「アラブの料理を紹介する」という名目で保護者を交えて授業を行なうなど、小学校の教育に携わるようになります。

その際、小学生に対してパレスチナの歴史をインディアンになぞらえて説明したり、イスラエル軍の犠牲になった子供達についてのフィルムを上映するなど過激な授業を実施しました。

当然、保護者が問題にしてイスラエル大使館に連絡が行き、イスラエル大使館からは遺憾の意が述べられたこともあります。

重信房子の娘(重信メイ)の現在は?

  • 2006年:ニュースの真相
    ※4年間副キャスター
  • MBS東京特派委員(現在)

メイは2006年からCS朝日の番組「ニュースの真相」で副キャスターを4年間勤め、現在MBS(中東ブロードキャスト、UAEアラブサテライトチャンネル)の東京特派員を務めています。

2008年5月にアイルランドのダブリンで行われた国際会議で、クラスター爆弾に関する条約が締結されたことに関して、イスラエル軍の使ったクラスター爆弾で死んだ子供たちのことを現地の視点から説明しました。

メイはイスラエルに批判的で、パレスチナに対して友好的な視点を持っています。

2011年のイギリス映画「革命の子供たち」の中で、ドイツの赤軍創始者で獄死したマインホフの娘が母親に対して批判一色なのに対して、母親をサポートするという大きな違いを現しています。

また過去に3冊本を書いています。

  • 秘密―パレスチナから桜の国へ
  • 中東のゲットーから
  • アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 
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