2021年11月17日に【世界何だコレミステリー】であばれるくんが本能寺の変について調査します。『裏本能寺の変』と呼ばれる明智光秀と徳川家康の関係を調べました。
- 裏本能寺の変とは?
- 明智光秀と徳川家康の関係は?
- 明智光秀が徳川家康を狙った頭脳戦とは?
今回はこれらについて確認しました。
※下記番組放送前なので一部内容が異なります。また、内容は諸説あり憶測も含まれます。
裏本能寺の変とは?

- 恨み説
- 朝廷黒幕説
- 単独犯説
『裏本能寺の変』とは明智光秀が本能寺の変で織田信長以外に徳川家康を狙っていたという仮説を番組内で表現したものです。
これは説明する必要もないと思いますが、『本能寺の変』は織田信長の家臣である明智光秀が謀反を起こした事件です。
『敵は本能寺にあり!』なんて言葉は有名ですよね。
実際にはこの言葉が明智光秀が発した事実は残っていないので、あとから作られた言葉ですが、テレビやゲームなどでよく耳にすると思います!
明智光秀が織田信長を狙った理由は?
実際のところどれも確証があるわけではなく憶測がほとんどなのでどれか正しいか分かりません。
一般的には、明智光秀が織田信長に諸将の前で辱めを受けて恨んだという説や自分が天下を取りたかったという単独犯などのがあります。
今回番組内では明智光秀が織田信長以外に徳川家康の首を狙っていたという説を調べるようです。
そもそも、明智光秀と徳川家康はどんな関係なのか確認してみます!
明智光秀と徳川家康の関係

- 明智光秀は徳川家康の接待役説
- 明智光秀と徳川家康は仲間説
明智光秀は織田信長の家臣として活躍していました。
対する徳川家康は徳川家として織田信長と同盟の立ち位置にあったと考えられます。
明智光秀と徳川家康の関係に関する話はいくつか説があるようですが代表例を紹介します!
接待役説
二人の接点で有名なのは安土城の接待役という説が良く聞かれます。
織田信長が武田信玄との合戦に勝利した立役者である徳川家康を安土城に迎え盛大にお祝いをしたとされており、その接待役が明智光秀だったと言われています!
一説によればこの接待に振舞った魚が腐っていた事に織田信長が激怒して徳川家康の前で惨めな思いをしたことがあるようです。
直接的ではないが、明智光秀にとって徳川家康は自分より位が高いと感じていたかもしれませんね。
仲間説
ある説には織田信長と徳川家康の勢力を考えると、信長が延命していた場合、徳川家は織田軍に飲み込まれていたと言われています。
これを回避するために徳川家康は明智光秀と手を組んでいた可能性もあるようです。
これはドラマなどで話題となる『光秀が天海僧正になって家康を助けた』というストーリーの元になっていると考えられている!
色々な説があるので、何が正しいかは分かりませんが、今回は番組内で明智光秀が徳川家康を狙ったとあるので、それについて確認してみたいと思います。
明智光秀が徳川家康を狙った頭脳戦とは?
- 織田信長は徳川家康を脅威に感じた?
- 明智光秀は徳川を討つ予定だった?
織田信長は徳川軍の勢力拡大を恐れ、明智光秀に徳川家康を討伐させようとしたのではないか?
今回の説で重要なのは織田信長が徳川家康を脅威に感じていた事から始まります。
織田信長としては勢力拡大の徳川軍を早めに破滅させておきたかったようです。
徳川家康が本能寺へいくはずだった?
この説は本能寺で織田信長が徳川家康を誘い込む事が狙いだったとされています。
- 徳川は京都の堺に旅行中
- 織田は本能寺に滞在
- 織田は護衛を最小限にした
- 徳川を呼び寄せ明智に襲撃させる
- 徳川が織田を暗殺しようとしたことにして討伐
これが事実であれば、本能寺の変は徳川を討つためだったことが分かります。
簡単に言うと織田信長は旅行中の徳川家康の状況を利用しようと考えました。
本能寺におびき寄せその瞬間を家臣の明智光秀が討つというシナリオを描いたのだと思います!
織田信長からしたら、徳川家康に暗殺されそうになったから返り討ちにしたというストーリーが成り立ちますね。
しかし、実際には織田信長が明智光秀に奇襲されてしましました。
だから、織田信長は最後に『余は自ら死をまねいた』と言葉を残したとされているようです。
徳川家康と明智光秀は組んでいた

天下を取る為には織田信長を倒す以外に道はないというのが予想される!
徳川家康は織田信長への侵略を恐れ、予め明智光秀と手を組んでいたという説がある。
これは上記でも紹介した『天海』に繋がる話。
つまり、徳川家康は織田信長のシナリオに気が付き、明智光秀に織田討伐を打診したと考えられますね。
しかし、番組では徳川家康の首を明智光秀が狙っていたという話も出ています。どういうことなのでしょうか・・・
明智光秀は徳川討伐前に豊臣が制圧した
- 徳川家康は旅行中で護衛が少ない
- 明智光秀は織田を討伐後、徳川も打とうとした
- 徳川討伐前に羽柴秀吉が明智を討伐した
今回考えられるのは徳川家康もまた護衛が少ない状況だという事。
明智光秀は織田信長の勢力と徳川家康の勢力を同時に壊滅させることが出来る絶好の機会が本能寺の変だったのではないでしょうか。
つまり、織田信長の討伐に賛同して、徳川家康の味方と見せかけ、実はそのまま徳川家康も討伐するつもりだったのではないかと考えられます。
しかし、11日で羽柴秀吉(豊臣秀吉)が帰還して交戦となり敗北。徳川討伐は不発に終わったと考えられます。
ここまで見越していたとすれば、すべての黒幕は徳川家康だったと言える。
これは凄い頭脳戦だったことが分かりますね!
裏本能寺の変!明智光秀と徳川家康の頭脳戦とは?まとめ
2021年11月17日に【何だコレミステリー】であばれる君が明智光秀と徳川家康の本能寺の変に関する見解を紐解きます。
明智光秀と徳川家康にはどんな関係があるのかまとめます。
- 本能寺の変は諸説や憶測が多数あり、事実は不明
- 明智光秀は織田信長を恨んでいた
- 明智光秀は徳川家康を接待しており、仲間説もある。
- 織田信長は明智光秀に徳川家康を討伐させる予定だったが、裏切られ謀反が起きた。
- 明智光秀は織田討伐後に徳川を討つつもりだったが、その前に豊臣によって討伐された。
- 徳川家康がすべてを仕組んだ黒幕の可能性もある。
色々な説や憶測があって面白いですね。他にも新しい新事実が出てきたらまた調べてみたいと思います!
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